路上ライブの負 ~あんた山作戰村のひと?~

今日は江戸の品川で
またうたわせていただきます
昼過ぎに出発予定
楽しみです

 

路上ライブについて
昨日Facebookで話をして面白かったので
すこし補足

まえにここに続きものとして書いてて
途中で飽きてやめてしまった件とも近い

おれは東京にいたうちの最後の1年くらい
毎週金曜日に『辻義理』と名付けて
路上ライブをしていた

この路上ライブの前後で
おれのうたいかたは変わったと言われるし
伝えようとする意志や集中力も鍛えられた
よい変化をたくさんもらったのは事実

それは踏まえた上で

路上ライブをするひとには
自分で曲を作り詞を書き
シンガーソングライターを自称するひとが多い

なのに自分の曲ではない
だれでも知っている
テレビ発の曲のカバーを
演奏するひとが多いのは
作った曲がが少なくて時間が余ったからじゃなく
自分のレパートリーの中に
街のひとびとを一瞬にして
とりこにするような曲を持ったひとは
そうそうはいないことに起因すると思う

テレビなどを使って
だれかが浸透させた曲のカバーを披露して
途中に自作の曲を披露し
その間に関係を築きあげた上で
CDの購入をうながすというのが
乱暴に言うと『路上アーティスト』の
常套手段のようだ

これは曲作りの腕前や歌唱力の関係も
もちろんあるのだろうけれど
おれはそれ以上に
路上にいるひとは
知ってる曲
どこかで聴いたことがある曲を聴きがるもの

という点から
始まってるはなしなのではないかと
思っている

辻義理(新宿西口)

初めて聴いた曲を
ワンコーラス目である程度認識して
ツーコーラス目で愉しむ
というような高度なスキルを
路上を歩いているひとたちにのぞむのは
そもそもおかしいんでしょうし
それを望むならつくる側も
ポップに擦り寄っていくような
親切で味が濃ゆい作り方しか
できなくなってしまう

 

自分の曲が通用しない…

最初から歌謡曲やポップスと呼ばれるたぐいの
万人に受け入れられるものを作っていないのだから
当然のことのはずなのに
路上で立ち止まってもらえないと歌い手は
立ち止まってもらえないことに慣れるか 折れるか
するものだと思う
その恐怖と対峙して
おれは声を張り上げすぎて喉を壊しました
小学校の合唱部からうたいはじめて
いままでにない体験だった

 

さらに
強烈な敗北感に打ちのめされて帰ったあとは知らぬうちに
すごくあざといものを作ろうとしはじめて
自分でもゾッとしたりしていた…

 

辻義理の後半
おれは新宿の街をゆく
巨大なひとびとの群れの中で
同郷の人間にだけわかる訛りで
すこし大きな声ではなしてるような
そんな気分で愉しむようになっていました

そこにちらほらと
同じ少数民族の村の
訛りがわかるひとたちが…

それがあなたなんですよ…
…みたいな終わり方が美しげだとは思いつつ
それはやんなーい!

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コメント

    • 架間 太陽
    • 2012年 10月 24日

    僕の言葉でいうなら プロレスなのか格闘技なのか どちらでもないようなものを観た気分

  1. 冷たい空気の西口で雑踏とバスやタクシーの行き交う音の中
    はじめて生で聴いた「メロウ」は忘れられない。
    もう2年前。。。

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