辻義理と山作業 弐

辻義理と山作業 壱の続きです

自分の音楽を聴きに来てくれるひと…

このひとたちがいる状態でうたうことと
まったく自分を知らないひとのまえでうたうことは
うたう側にとってとんでもなく大きな違いがある

路上ライブというものは
立ち止まってくださったひとの数
ひとだかりの大きさなどで
成功不成功が判断されがちだ

たいがいは目的を持って
どこかへ行こうしたり
家へ帰ろうと歩いている街ゆくひとびとが
通りがかりに一度聞いて
おっ!
と思って立ち止まってくれること

自分を説明して自分を受け入れてもらうか
みんなが望むかたちの完成度の高さで認めてもらうか
演目を相手の知っているものにして
(有名な曲のカバーなどをうたって)
曲の威力を借りて滑り込み
それをきっかけに愛してもらうか…
(一部女の子の場合はこれに
男性受けのよさで斬り込むという方法があると思う)

そんななか
そもそもそのころもいまも
おれが演奏している曲は
より多くのひとに愛されることを優先して
作ったものではないし
カバー曲はうたうと著しく
モチベーションが下がってしまうことがわかっているので
原則やらない
顔もどうやらオダギリジョー似ではない

それはたとえるならば
ひとを殺すために開発された戦車で
畑を耕せと言ってるようなものだろう

わかるひとにだけわかるようにと
作っているのだから
必死でうたってみんながわからないことに
それはそれでなんの不思議も
落ち度もないはずなのだ

しかしそのころのおれは
そうは考えなかった

つづく

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コメント

    • 松田力
    • 2012年 6月 22日

    あ、良い所で続いちゃったw 上手いなー

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