100日山作戰 その88

みんな自分が知らないうちに知らないところでいろんなことが営まれたりなにかが起きてそれぞれ運営されたりしてることを知っている

中にはうちの社長のように
「自分が目で見たものが世界の全て」
というようなひともいるのかもだけど 大人はたいがい 自分が知らなくても何かがいつも通り起きてると安心してるし どこか自分の知らないところでも日々問題は起きていて 同時に解決のアクションも起きてくれる そして知らないうちに平常に戻っていると知っているし そう期待もしてるんだろう

メジャーデビューのことを書いた
多くのひとたちはテレビで目にするひとたちを「メジャーデビューしたひと」として認識しているけれど それは上澄みの少しだけだよと

たとえば知らないうちに死んでしまう芸能人のひとがいて 亡くなってからSNSで ニュースで 惜しまれるケースがある
実は何年もテレビに出てなかったのに 半年前 一年前から闘病していた なんて記事を見て そうだっけ?と意外に思ったりするのはこの並縫いの糸のように 世界の自分が見てない部分で人々はそれぞれに日々をつないで保っている 保っていて欲しいという願望から補完されてるんだと思う

例えば俺も社長も「お仕事は何ですか?」と聞かれて「音楽家です」「音楽家のマネージャーです」と答えると
「普段はなにを?」と言われることがたまにある
「普段から音楽家です」と言うと変な空気になってその話は終わり
俺たちがいないところで ひもだの地主の子だのという噂になってたことが1回目のセンまつり以前にはまあまああったので いまもあるんだろう

これらは自分たちに見えてる部分で納得がいかないので 並縫いの布の向こう側を通ってるところでつじつまを合わせるための仕掛けがあることにして悪気なく補完してるんだと想像するけれど 布の向こう側に不労所得は残念ながらなく 社長は一日中 毎日社長だし 俺は一日中 毎日音楽家だ(笑)

いまの自分に価値を感じてもらえないことにはきっとずっと 納得のためのガセの補完がつきまとうのだろうけれど そういうのも悪くないのかもなとだんだん思い始めてる
ひとは日々を営んでいて欲しいと願うものだからね

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