熾烈で懐かしく美しく激しい 大丈夫だ

地球は365日とほんの少しで太陽を回っているそうだ
俺にはそれを確かめる術はないけど
もし回っているとしても
お正月の0時にも地球は宇宙空間を
スーッと動いてるだけなんだそうだから
昨日が今日になるだけなのだろうけれど
やはり心を新たにしたほうが楽だ
何かが終わったと思ったほうが都合がいい

死にゆく知人が「戒名も葬式も要らない」
と言ってたのに葬式で戒名がついていて
そのひとのお母さんは
「これで浮かばれる」とか言ってた
あれと同じなんだろう

人間の納得のためにやる去年のお葬式
だから松の内は7日間なのかも知れない

今年が死に 来年が生まれ
すかさず今年を襲名しようとしている
死にゆく今年を偲んで「去年」という戒名をつけるには
去年は地味に過酷すぎた

ライブでも話したが
「危険ですよ」という発信は
外れても「警告」として済まされ
「大丈夫だ」は外れると嘘つきとして怒られる
しかたのないことだ

「大丈夫だ」は間抜けっぽく
「危険だ」は用心深くかっこいい
的なイメージがあるのかも知れない
これらが拍車をかける世界

批判ばっかりしてしまうひとが
「批判は冷静で鋭いひとがするもの」という
世の中のずるっとしたイメージに
流されているのと同じ理屈


そうやって思いやりに混じった多くの自己顕示欲が
「危険だ」を発信するし
「危険だ」は積み重なって呪いになっているいまだ
その呪いを演者も来場者もそれぞれに見極め
空襲警報の合間を縫って集う会合
それが今年各地で行われたライブの姿だったろう

そんな時勢の中 挑戦者として
2021年終盤 ライブツアーを回れたことは
熾烈で懐かしく美しく激しい経験だった
負けて当然の戦いにちゃんと勝ちにいくと
負けたとき
勝ち方がわからなかったとき
途轍もなく痛いことを知った

お客さんは今日が初めてで
思い切って来てくれたライブかも知れない
そこで
「こんなものか」
と思われるかも知れない
そうなれば次はない
そういう意味で勝ち負けになぞらえた

ツアー前に始めた縄跳び
声が出ないことが減った気がしたので
日々の習慣にした
縄跳びが出来ないライブの日には
出番前に1,000回飛ぶことにした
ただ飛んでも背中がほぐれない気がして
手も回してエアで飛ぶようにした

その姿を通りかかった演者やスタッフに
幾度となく見られたが
やっぱりniziuのダンスと思われただろうか
思われてない


2021年中はありがとうございました
もっともっと続くと言われていた
熊本市の「城下町ラストサムライ」も
3月に作った分で止まってしまったし
毎年やってきた「○のセンまつり」も中止
自分自身もどこか
あきらめるほうに倒れ始めていく中
イベントなど出演の依頼をくださった方々
発破をかけてくれた仲間
(葉っぱかけんなよ土葬かよiPhone)

そして各地で駆けつけて聴いてくれたあなた
山作員諸君
ありがとう

そのひとにとっての初めてのライブや
久々のライブハウス体験が響かないことは
俺のライブだけならまだしも
そのお客さんのライブへ行くという
習慣や選択肢まで奪いかねない

特にこの「危険だ」が塗りつぶす世界では
あきらめて飲み込んで
自発的に死んでいったほうが一時的に楽だから
線上を転がっているボールはたやすく
行かない側に切れてしまうだろう

それを意識したのは
ツアー始まって結構経ってからだったけど
おかげで渾身のライブを続ける癖がついた
渾身のライブをしても
観て聴いてもらえなければ
ゼロに等しいんだろうけど
それしかやれなかったし
それをやれて聴いてもらえてよかった

そして今年を襲名する来年もますます
大丈夫だ」を共感したい
してもらいたい

あのひとのように
馬鹿のように

2022も
熾烈で懐かしく美しく激しい大丈夫だぁ

よろしくどうぞー

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