【山作戰60】とはなにか (二)引退しせる童子 生ける山作を走らす

【山作戰60】とはなにか(一)からの続きです

とはいえ
自分の中のやりくりだけではどうしようもないと
明確にわかったのは
「山作戰60をやり始めてからでした
きっかけはある1970年台のあるひとの曲をやったらどうかと
言われたこと

森田童子…

多くのみなさんと同じように俺の認識も
野島伸司のドラマ「高校教師」のテーマ曲として
「ぼくたちの失敗」を知っていた程度で
独特の歌唱をするひとだなあ くらいのものでした
しかしこのひとのうたと歌詞と和音が実に凄かった

最初に取り組んだのは
「みんな夢でありました」でした
シンプルなコードしか使われてないのに
むしろシンプルだからこそ
作品が描かれた時代の鬱屈と破綻
現れる全共闘時代が終わった頃の空気感と
割り切った風に生きつつも
どこかに忘れ物がある気がする虚無感が
いまの自分を言い当てているような
置き手紙にいまの自分のことが書かれてるような

生々しくも優しい言葉が
ソフトなのにやさしくない声でうたわれている
そのどれが欠けても成立しない気がする曲の数式に
おれの歌声や音楽性を代入して
式として成り立たせる作業

理論的な話は置いておいて
ひとの曲をカバーしてうたえるようにするとき
おそらく多くのミュージシャンが
曲がなぜそういう作品になったのか
詞も曲も含めて作家さんがやった工程を
おさらいするような作業を
知らないうちにやってるんじゃないかと思います
「この曲はこんな感じものだもの」
と思って取り組んで名カバー
心を打つ歌唱になる天才もいるかも知れませんし
声フェチに訴えかけるパターンのカバーには
例外があるかもしれませんが
多くの場合曲を自分の中に入れて
出力する動きの中できっとやってる

楽典が手足のようにわかっているひとや
コードが芸術として理論的に理解できているひとは
「ああ あれね これはこうやってこうすればこう」
みたいにテキパキ理解できるのかも知れません
しかしなにせおれは楽譜もわからない
コードネームもおぼつかない
なので曲をなぞって
「なにかのリハビリですか?」
と言われそうなボロボロ感で弾いているうちに
なにかしら間違う

ひとつ曲の成分と合わないことをすると
その曲に自分が求めている雰囲気が
一気になくなったり
ぜんぜん違う雰囲気になってしまったりする

ああ このひとは確信を持って
この和音の流れを活かすために
その前を抑えた作りにしてるんだな
いや 抑えた風だけれど
このメロディーにこのコードだから
スーッとした感じになるのか

なんてことを思って何百回とうたい
格闘していました
そして「ぼくたちの失敗」

「だめになったぼくを見て
君もびっくりしただろう」という部分の歌詞を
うたいたいがために
その前を後を紡いでいく感じ
ただただ空気をコントロールしようとして
自分が暴かれていく気がしました

引退しせる童子 生ける山作を走らす
おそろしくも魅了してやまない置き手紙とのたたかいは
俺を走らせていまもつづくのです

そしてこの文章も(つづく)
【山作戰60】とはなにか (三)あがた森魚さんと作務衣のきっかけ カバー曲は置き手紙を読んで翻弄されるが如し 上 へつづく

【山作戰60】とはなにか(一)へもどる

関連記事一覧

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は山作戰の目にとまらず葬り去られてしまいます ご注意を!

PAGE TOP