あたしはいいと思うわ に見る 『いい』 『わるい』 という言葉が無責任になりがちなこと

『いい』『ダメ』『わるい』なんてよく言います

それは自分以外が作った基準に
合っている合ってないという意味だったりする

いい男いい女の基準も変わる
小野小町は現代の感覚では美人に思えない
なんてはなしもある

江戸時代
男色が男のたしなみだった時代から
軍隊でいちゃいちゃされたら困るので
さも昔から恋愛は男女のみのもののように
基準や常識をうまく塗り変えた歴史もある

80年代90年代の若者の動画などを見て辛いのは
常識が違うからだもの

こんな例を出すまでもなく
みんな常識が変わることを知っているわけだけど
そのあたりはお酒の席で盛り上がるとして

『いい』『ダメ』という言い方を
やめてみるどうなるだろう

と試してみたら大変だった

主語を明確にしないと違和感が出ることが多いし
『素敵』とか『好き』とか
自分の感覚に責任を持つ表現に言い換えて
書いたりしゃべったりする必要がある気がした

『ダメ』がなんに対してどう『ダメ』なのかなんかも
考えるようになった
『ダメ』って言えると否定するの すごく楽なんだ

あんまり頭を使わなくてもいい
『みんなもそう言ってる』的に
すいすい否定していける

しかし使わないとなると
自分に対して都合が悪いだけなんじゃないか
なんて哲学っぽい面倒臭さがつきまとう

その部分に『神様』が絡んでこない分
日本はなおさら世間の都合と密接でなのかもしれない

刑事ドラマなんかで
『お前個人の意見を聴きたいんだ!』
みたいなセリフもここ最近聞くようになった
世間がどう言うかではなく
お前の美学と照らしあわせた意見を聴きたい

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ふと『いい』『ダメ』以外の語彙を
たくさん持っているひとたちのことを思った

テレビなんかでも見かけるオネエのひとたちだった
彼女らはものの好みを

『わたし好きよ』
『わたしは嫌い』

と明言するイメージがぼくにはある

『いい』『ダメ』『わるい』と言うにしても

『あたしはいいと思うわ』
『それわたしダメ!』
『それはあんたが悪いわよ』

みたいに言ってくれる気がしないだろうか
自分の意見として言い切ってくれるんじゃなかろうか

思いつきの意見だけれど

世間の常識やあたりまえの定義みたいなものを
バランスよくアップデートしながら
本人の脳と責任はあまり使わずに言われる
『いい』『ダメ』『悪い』みたいなものを
自分に取り戻して主観で話してくれる

知らず知らずのうちにおれたちはその役割を
オネエに求めてたんじゃないか
さらには オネエ口調というのは
それを可能にする言語なんじゃなかろうか

この 実験と呼ぶには感情的なそれをやってみて

『いい』以外の褒められ方をするとひとは
いつもより喜んでくれる気がする

という点と

『悪い』『ダメ』やそれに準ずる
自分に責任のない否定の言葉を使わないことにすると
少々のことでは面倒でひとをけなしたくなくなる
ということがわかりました

詩を書く上でのトレーニングのつもりでやったけれど
大切なことなのかもしれませんな

あたしはいいと思うわ

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