【ぼくはげ】「物の道理」「正義」VS「エゴ」「おれが嫌いだから嫌い」山作戰

『正しさ』を嫌いなひと 腹立たしいひとを切りつけたり殴ったりする道具に使ってしまうことは多く 「普通そうだろうが!」 みたいに言ってた自分は 自分の美学に合わない現象を起こすひとを「普通」という架空の正義で殴りつけていたんだなあと ふと思って 「普通」って言葉を使わなくなりました
そうすると「普通」のかわりに相当別の考えた言葉をつぎ込まなければならなくなり 「普通」というよくわからないものは 便利グッズだったことがわかりました
(よく意味がわからないのに働きの大きい言葉に「愛」とか「絆」とかがありますがこのブラックボックス的な言葉たちはよくもわるくも便利グッズ的だと思います)

「ものの道理としておかしい」みたいなことを言い出した自分がいたとして その道理からはずれたものを嫌っている自分が ものの道理からはずれているから嫌いなのか 「こいつ嫌い」が先でものの道理と照らし合わせてはずれてるところを探したのか って冷静なふりをして頑張って考えてみると 正体は「こいつ嫌い」なことも多かったりしませんでしょうか おれだけかしら
これをごっちゃにしてしまっている事象が世界にあふれているように見えます
Twitterで支持する議員さんと対立するひとを叩き合ってるみなさんなどはもはや坊主にくけりゃ袈裟の繊維メーカーまでにくいってなもんで ものすごい 「道理」自体も おれのこそが正しいぞ みたいになっちゃってくんずほぐれつ
国や地方 年代や立ち位置で道理っていっぱいありるんですよね あとはその場の多数決みたいなところもある

それ以前に嫌いなだけじゃね? って気づくと もつれた感情の呪いが解けると思うんですが 嫌ってるときは嫌うことで手一杯なのでそんな余裕はないので これって同じことを好きなひとがしたら幻滅して嫌いになるか なんて思うようにしてたけど それもなんだかわかんなくなり…

しかも身近に道理や普通が通用しないひとがいらっしゃるので 借りてきたような「物の道理」は通用しない世界に生きています
そうなると自分を主語にして 嫌なものは嫌 おれは嫌い と言うしかなくなって エゴの戦いになってしまう気もするんですがそもそも「ものの道理が嫌いって言ってるぞ!」「おれが赦しても正しさが赦さんぞ!」みたいにしてエゴを隠してるだけのはなしなので エゴでいいんだ エゴだと認識したほうがうまくいきそうだ と思いました

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