感情のよりわけはことばで呪いをとくような…

ことばを用いないと
ひとはものを選り分けることができない

と聞いたことがあります

たとえば小豆と大豆を混ぜたものを
より分けるとき
ひとはその豆を見て
『赤い』色のものを
『小豆』と呼び
『小豆』を『右』の器にいれる
『白い』ほうを
『右』にいれるというような
照らし合わせの処理を
ぼくらはしているらしいんです

つまり『赤い』ということばがないと
豆を毎回くらべないと同じかどうかすら
わからないという

伝わるかなぁ…

これに条件のことばが増えると
処理が大変になる

『綺麗な』『小豆』は
『右』の『大きな』器に
『きたない』『小豆』は
『右』の『小さな』器にいれる
『綺麗な』『大豆』は
『左』の『大きな』器に…
という処理をすると
ことばと目で見たものを行き来する処理が
大変です

なのでまずは小豆と大豆を分けて
その後綺麗なものときたないものを
分けたりする

『お仕事』は『やらなきゃいけない』
という処理がひとを苦しめるとき
『お仕事』を
『やりたい仕事』と
『つまんないもの』によりわけて
『つまんないもの』をやらないでいると
楽かもしれません

しかしそれでは暮らせないかもしれない
ひとは『もうかる』と『もうからない』をよりわけはじめたりする

20130301-091908.jpg

名前がない感情に
良くも悪くも涙したり
身をよじったり
息を吐いたりすることもある

その感情を手っ取り早くより分けてしまえれば
すっきりできることもあります

しかし不用意によりわけちゃうと
ときにもっと味わい深かったものが
もったいなかったり
感情のほうが巨大過ぎて
納得できずに溢れ出したりもする

病名がわからない症状は不安だけれど
治療法がないとしても
名前がわかるだけで少しだけ
不安が減ったり
あきらめがついたりする
なんてこともあるそうです

つまりそれは
ことばを間違うと
あきらめなくていいものも
あきらめてしまうこともあるってことでもありそうです

名前がついてないもの
わからないものは処理できない

それに名前をつけて
よりわけられるようにしたり
よりわけかたまで判断する

それはもはや
『小さい』『大豆』の『綺麗な』ものは
『右』の『ベージュ』の器に…
みたいな複雑さ

まさに呪いをとくようなそれ…

ぼくはあなたは
それに挑戦する三月を
またともに生きている
すごいことですなぁ

関連記事一覧

コメント

  1. 『感情のよりわけはことばで呪いをとくような…』
    http://t.co/JkyZjV6lzN
    ぼくはげ 更新しました

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は山作戰の目にとまらず葬り去られてしまいます ご注意を!

PAGE TOP