正義はひとを嫌わない

東京にいたあるとき
ぼくは電車の中の戸袋の前で
イヤホンからとんでもない音量で
音を漏らしながら
ゲームをしている若者に
注意をしました

「青年 音が漏れてるよ
まわりのひとにも迷惑でしょう」

こう言って
周りの顔色をうかがうぼく
うるさいと思ってたひとが目で
「よく言ってくれた」
ってメッセージを送っている(ように見える)
舌打ちする若者
無視してゲームを続ける

ぼくはここで声を荒げてしまったら
それこそもっと迷惑だと
「もうちょっと小さくしようよ」
と耳元で言う
黙ってゲームを続ける彼
憎々しげに彼を見るぼく

彼は長く伸びた前髪の隙間から
ぼくをねめつけながら
つぎの恵比寿駅で降りていきました

なんだか煮え切らない気持ちのまま
ドアの前に立って窓の外を見る
そのままの姿勢で目的地の目黒まで…

電車を降りてホームを歩いていると
隣の車両の窓にあの若者が…
ゲームをしながら

あーのー野ー郎…

清水銀座

しかしわれに返った

ぼくは途中から
ただただ彼を彼の態度を
気に入らなかっただけなんじゃないか?

『ここで声を荒げてしまったら
それこそもっと迷惑』
なんて嘘で
気に入らない彼を責めていい立場
常識や正義みたいな錦の御旗を
なくしたくなかっただけじゃなかったか…?

正義に照らしあわせて責めるやりかたは
嫌いな相手を追い詰めるのに
ものすごく効果的だと思うんです

相手が悪いから嫌うのか
嫌いだから悪だと扱うのかも
あいまいになりがちだし
好意を持ってるひとがもし同じことしたら
条件付けをして
『この場合は云々だから別だけどさ』
みたいに赦したりする場合もあると思う

さらには世の中はすごく
ネガティブなものを狩るみたいな傾向にあって
一部
ひとを嫌うのが悪のように扱う傾向もあったりする
だから
自分の『嫌い』に説得力というか
公明性を出す手法として
みんなの悪としての責められるべきそいつ
みたいなレッテルを貼りたくなりますでしょう

もういっそ
正義のせいにせずに
嫌いたい!

自分がひとが
『わるい』 って言ってるとき
(『べき』とか『非常識』も)
「嫌いなだけじゃないのー?」
と思うことに最近しています

ってはなしをニヤニヤ考えている
今年二日目…

ひどく面倒くさい自分が
悪だと思いつつ…

関連記事一覧

PAGE TOP