トラヤマンション5「絶望の辻義理」

前回のトラヤマンションのブログはこちらです。
トラヤマンション1「山作戰の最初を作った上大崎のこと」
トラヤマンション2「どうやって入るの?謎のベランダ」
トラヤマンション3「恐怖!ビオランテの移動」
トラヤマンション4「山作戰の配信の名前はなぜ?なに?なまはげ?」

山作戰がUSTREAMを初めたのは2010年2月5日(金)からと前回のブログで書きました。
しかしGoogleカレンダーのその頃の予定を見てみたらところ、2010年2月4日(木)にはすでに「ぼくなまはげ」をやっていたみたいです。
SNSもそうですが、ネットの時代になって過去をさかのぼるのが楽になりましたね。IT革命万歳です。
なのでおそらく2009年12月あたりからテストをして、毎週木曜日22時と決めて開始したのが「2010年2月4日木曜日」だったようです。

当時私は配信に関して「どうせやっても無駄だ」と言っていました。全く協力しなかったし、邪魔もした覚えがあります。
3ヶ月くらい視聴者はずーっと4人から10人くらいでした。
私は「ホラホラ言ったとおりじゃん、路上ライブをやったほうが良いだよ」と心の中で思ってました。
(思っていただけだと記憶していたのですが、山作戰に聞くと実際口に出して言ってたみたい。悔しかったそうです)

どうして配信をする山作戰のことをないがしろにしていたかというと、私は当時「インターネット上でライブをやっても山作戰を知ってる人しか見ない。路上ライブの方が無条件に通りがかる人の耳に入るから山作戰の曲を聴いてもらえる」と思っていたから。
それに加えて私はインターネットやSNSをあまり使ったこともなかった。
今では考えられませんが全くもってSNSの力を信じてなかったんです。
悔しさの中続けていた山作戰が当時「インターネットで起きる奇跡」みたいなものを信じていたのかよくわかりません。
しかし、山作戰は視聴者が増えなくてもしぶとく毎週毎週やり続けてました。

そんな中、私が何度すすめても却下され続けていた「路上ライブ」も2010年4月からやっていたみたいです。
カレンダーによると初めて路上ライブをしたのは目黒駅前。
面白いぐらい誰も立ち止まってくれませんでした(面白くない)。

その当時、洋服が似合わないと言われていた山作戰はライブ活動を剣道着でやっていました。
(写真はもう少し親しみやすいかもと作務衣になってからのもの)
その格好で路上ライブもやったせいで酔っ払った会社員の人にギター侍と言われたこともありました笑

知ってるひとも多いかもしれませんが、東京は路上での演奏に厳しい!
なので1曲演奏できたかできないかのうちに通報されて警察の方がいらっしゃることもありました。
なので私が目黒駅のバス停の近くで早く閉まる写真屋さんに交渉して閉店後お店の前でやらせてもらったこともありました。

誰も見向きもしてくれない中の演奏。離れて見ている私でも認められなかったような気持ちでダメージも大きくて辛かった。
路上ライブを終えて目黒駅からトラヤマンションへ帰る道のりはとても嫌な気持ちだったのを覚えてます。

山作戰にとっても路上ライブは普通のライブとはかなり違ったはず。
自分の音楽を聴きにきてくれる人が目の前にいるわけではないのであたりまえですね。
聞くつもりのないひとに届けるためには体力も説得力も必要だったりするので始まる前も終わった後も大変そうでした。
そして、ダメージを受けた山作戰は「路上ライブもやめずに続けるけど、これだけやるのは得策ではない」とよく漏らしてました。この後、インターネット配信「ぼくなまはげ」から路上ライブ「辻義理」へ、奇跡と言ってもいい転機が??

このブログを書くきっかけになった配信 「十年愛 前祝」という配信でした。
(アーカイブは10月8日(金)まで公開です)
このブログを読んで東京時代のころを知っている方は懐かしんでもらえたら。。。
そして東京時代を知らない方はこんな時期があったんだなと曲たちを味わってもらえたら幸いです。
そして静岡に来て10年なので10月9日(土)には「十年愛」の配信をします!!

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