ヤマサクマイニチ196 拝啓21年前の俺へ 

この写真は1999年のものらしい
そう 写真右に写るのは はるか昔に出あった若者
彼はいまでも俺がうたう曲「アゲハ」を作ったひと
左の金髪はもちろん俺だ

渋谷のホコ天で路上ライブをしていた俺を遠くからサングラスをかけたまま見ていて怖かった
うたい終わると話しかけてきて褒めてくれた 一緒にマクドナルドへ行った気もする
「行く大学の下見に来た 来年の春 東京へ来るのでよろしく」と言い残して去った
そして彼は次の春 本当に来たのだった

彼は鳥取からバンドの仲間とともに上京して下北あたりを中心に活動した もちろん下北半島ではない
バンド名は俺の記憶が確かならば THEE MONGOOSE といった気がする

しばらくの間 ライブを観に行ったり交流を持っていたけれどなんとなく疎遠になる
それでもたまーにライブを観に来てくれたりしてるうちに俺が東京を離れた

SNS上で見かけた彼は鳥取に帰って活動していた
あの頃よりもっと色気とかっこよさを増した音楽をして 
毎日配信をしてファンを増やしていた
そうやって出あい直して彼が持っていた1999年の頃の写真が上のもの

写真にはよく山作戰の名前の説明をするときに話す
山作戰の前身ユニット「山」の名前がある
おそらく路上ライブでこれを掲げてうたっていたのだろう

俺はなんでも捨てられないひとなので
当時のライブの資料などをたくさん残してあったのだけれど
社長とであってからというもの
裏紙をみるみるいろんなことに使ってしまい みんななくなってしまって久しい
だんだん時間が経つにつれて
「本当にそんなことがあったのかな」と不安になっていたが
やっぱり俺は「山」をやってたんだなあ
虚言でなかったことに安心した

この写真の頃の俺からすると いろいろ想像しもしないいまだ
そして写真の頃には想像だにしないであろうイベントまであと16日

今年こそ1,000人を越えたお楽しみにしようとして 時代に翻弄された
結果385人しか入れないことになり いま買っていただいたチケットが200枚
そんな中 どんどんやるならいましかねえモードに入っている俺とあなたのコンサートだ


そして83日連続でアップしている動画 つまりあと17日だ
由比のこの神社 ずっと気になっていて横を通る機会などあったのだけれど入れてなかったのでうれしい
天狗のうちわ やつでのマーク
戦いの神様のように言われる坂上田村麻呂が寄ったという神社
なぜ蝦夷を討つのか 理由がわからなかったりもやもやするところはあるものの
雨に濡れた境内の雰囲気はものすごく素敵だった 大イチョウも大切にされてるのがわかる
1999年の俺よ あなたよ 疫病の時代に俺は笑顔で戦っているよ
今日はラジオに出演そのあとは夜19時から 特別な配信です おたのしみに

それではまた 明日の未明ごろに

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