ヤマサクマイニチ53 2020年2月18日(火)宮崎駿さんと似た作り方の俺 釣りじゃなく

宮崎駿というひとは映画を作るとき
最初にストーリーを決めず絵コンテを書くそうだ
さらに絵コンテがある程度進むと映画を作り始めてしまうんだと
つまりストーリーが最後まで出来上がる前に絵を書きはじめる
場面場面を作ってその見栄えの素敵さが連なって作られていく
爆発のシーン 飛行機が飛ぶシーン
トトロがふんわかして気持ちよさそう
そんなシーンが先に決まって
それをつなぐストーリーができる
制作が始まる段階では誰も結末を知らないんだそう

多くのアニメを含むドラマは
脚本を練って絵コンテを書いて共有する
「これはイケる」とみんなで共有してから
撮影なり作画なりの制作が始まる
全然やり方が違う

いろんな意味で長くやってきて
ヒットさせ続けてきた
そんな巨匠だからできるやり方だし
めっちゃくちゃ絵がうまくて描けてしまうことも要因だろう
そのやり方じゃないとああは作れない
という 誰にも真似できない方法

商業音楽は昔
そのほとんどが楽譜に書かれていた
曲を書く という言い方はその名残だろう
そうでなければ
頭に浮かんだものに自分で伴奏をつけて
弾き語って聞かせるか
楽器のできるひとにうたって聴かせて
演奏してもらうしかなかったはずだ

オープンリールやカセットデッキの普及で
アイデアは音のまま保存してひとに聴かせられるようになった
それが権限のあるひとに評価されれば
「スタジオで録音しよう」
となって本人が楽譜を書けなくても誰かが譜面にする
共有されて録音されて世に出ていた

いまではパソコンでスタジオのクオリティーに近い音が録れる
そのままパソコンに立ち上がったソフト録音される
そのソフトに命令のデータを打ち込みさえすれば
ドラムやベース ピアノやヴァイオリン
シンセなどの音も思うままに出してくれるから
アイデアはそのまま世に出やすくなっている

楽器の弾き語りでできた曲をそうやって世に出すひともいれば
作る段階からそのソフトにどんどん命令を打ち込むひともいる
俺は後者だ
この作り方 やり方をするミュージシャンはきっといま劇的に増えて
譜面が書けるひとでも一度も音符を見ないで作ったりしかねない

これは宮崎駿さんのやり方に少し似てる

爆発のシーンや空を飛ぶシーンが見せたいから映画を作るように
「このサビのメロディーが聴かせたい」
だとか
「このギターの繰り返し面白いよね」
「この言葉 音にのせてうたうと素敵じゃない?聴きたいよね?」
みたいな断片がパソコンの中に渦巻いて世に出ていくんだ
違うのは沢山のスタッフを使って作らないからできるということ
完成してネットにアップロードするまで
誰もその曲の存在すら知らないことだってあるんだもの

俺の場合はほとんどがうたのメロディー
それにのる言葉から録音していき
それに楽器の命令を打ち込んでいく
すべてマウスの作業なので
出来上がった曲を自分で演奏できないのだ
ライブでやるまでに自分の曲を他人事のように
「ほうほう」と言いながら練習するの
ときには「なんだよこの曲 弾きにくい!」
とやはり他人事のように怒ったりもしながら

俺の曲作りがそうなったのは
「どうせ全部独りでやるんだから」
という思いからだった
こう書くと投げやりに読めてしまうけど
あんまりそういう意味はなくて
「どうせいずれは死ぬ人生だから好きにやにるよ」
みたいな感じに近い

メジャーのやり方だと曲を作るひと
歌詞を作るひとがいる
そしてうたうひと ここまでを1人がやるとシンガーソングライター
それをアレンジ 編曲するひとがいて ここまでを自分でやるひともいる
さらに演奏をするひとたち ここまでがいつも同じだとバンドと言ったりする
そして録音して音の調整をするひとたち

これを自分で全部やらなきゃいけないから大変なことはあったけど
これを全部自分でやるからこそできることが自分を音楽家たらしめたとも思う

そしてこうやって孤独に全部自分で判断して作るときでも
みんなが喜ぶぞ 悦ぶぞとニヤニヤしたりするし
みんなが関わってくれる大きなコンサートで響くことを想像
想定しているんだ

3年目 3回目になったこのコンサート
先日チラシが解禁になった

ホールで「ばえる」感じ みんなの楽しい笑顔
俺の中の 爆発を 飛行機を
トトロのふんわかを
届けるストーリーが始まっていてそれがあなたにつながっていけばうれしい
もう物語は始まってるのに誰も結末を知らないところまで似てるじゃんね

楽しもう!

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