ヤマサクマイニチ65 2020年3月1日(日)ひとは意地悪にも名前をつけなければいられない きっとあいたさにも

小学校の頃の友達にM君という子がいた
同じクラスだったこのふとっちょの男の子はいつも独り
ときに両手をひらひら羽ばたかせながら
ときに不思議なリズムで手を叩きながら
ふわふわと歩いた
スキップというには不格好な小走りで楽しそうに

彼はお金持ちと有名な土木工事会社の子だった
小学校の1年から2年くらいまでは
たまに仲良くして遊んだりしていたのだけれど
クラスが変わって疎遠になり
遊んでも話が通じないよね
と噂になった
そして俺よりも先にいじめられ始めた

かなり酷いいじめを受けていたと思う
パンツを脱がされたりもしていた
記憶にはないのだけれど
もしかしたら俺もいじめたんじゃないか
とずっとうっすら心配しているけれど
確認のしようがない

いじめる子たちの言い分はこんな感じだった
帰りに会で言われていたので覚えている
「あいつ整列しなさいて先生が言ってもせんでフラフラしよっとよね」
「Mは宿題をせんでも先生にしかられんけんね」
「Mは先生にあてられて答えられんでもシンバルパンチ
(顔を挟んでパンと叩かれるお仕置き)ばされんとぞ」
みんな苛立っていた
SNSがあたりまえになるくらいからだろうか
マウンティング マウントをとるという言葉が
当然のように使われるようになった

俺が「マウンティング」という言葉を俺が最初に聞いたのは
「わくわく動物ランド」という
関口宏さんが司会の人気番組だった

ゴリラが他のオスより強いぞと確認するために
そのオスに向かって交尾の体制をとるのだが
これを最初に知ったときは別段平気だったのに
すこしずつ営みがわかる歳になって
さかのぼって急に恥ずかしくなったものだ

その頃はまさか
若い意識の高い娘さんが口にするような言葉になるとは
つゆとも思ってもなかった
むしろ娘さんに口にされたら
無駄に興奮していただろう

いまでは「マウンティング」は
当たり前に使われる言葉で
意地悪の種類のひとつ

そのひとより自分のほうが優位だと
自分で納得したり
周囲にもアピールしたりするために
威圧的に言葉を発して安心する

結局ゴリラなわけだけれど
これ
「マウンティング」
という言葉や共通認識がなかった頃は
きっと説明が大変だっただろうし
この意地悪の理由も正体もわかりにくかったと思う

例えばこれは
自分の心の弱さ
整理のつかなさなどの問題が外に吹き出して
誰もしあわせにならないことになっている訳だけれど
やってる本人は
間違いを正してあげたということになっていたり
失礼なことをしたからたしなめた
みたいな置き換えが行われていたりして
これを
「マウンティング」と名づけないと
体罰が「愛のムチ」と置き換えられるのと似たことになるよね

M君をいじめたひとたちが持っていた苛立ちは
いまの頭で考えるとおそらく
自分が嫌々守っている決まりをやぶっているM君ゆるさん!
的なやつだったんだろう

いじめていたひとたちみんな
その苛立ちや行動の理由に名前をつける力も
納得する力もとうていなかった
だからそれを正義といっしょくたにしていた

けれどそれは妬みの一種だったんだと思う
自由への妬みそねみ

いまでもM君の
両手をひらひら羽ばたかせながら歩く姿を思い出すと
少し苦しい気持ちになってしまう

多分俺もいじめてたんだろうな
叱られないようにいじめられないように頑張って
ぐいぐい押し込められていく苛立ちを
ぶつけてしまっていたんだろう

M君 あなたをうらやましがってた割に俺はいま
押し込められそこなったような仕事をして
ときにひとに喜んでもらったりして暮らしていますよ

どうか お元気で
いつか あいたいです

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