ヤマサクマイニチ66 2020年3月2日(月)死ぬ自由はあるけれど希望があるから生きる もし意識不明のひとに意識があったら

「意識不明の状態と診断されていても本当は意識があった」
なんて話をテレビでたまにやってることがある
植物人間といわれたり昏睡状態と言われたりしてたひとが
何年かあとに意識を取り戻して語った
なんて話を何度となくテレビでやっている

それがそんなに頻繁に起きてることなのか
同じひとのことを何度もやってるのかわからないけれど
たとえ意識不明と言われてるひとみんなに意識があっても
その後喋れるようにならない限り
「意識あったんだよ」と伝えることはできないわけで
みんなに意識があるのに言えないだけだったら
哀しいなあ こわいなあと想像してしまったりする

まあCTだのMRIだので
脳がちゃんと思考してるかどうかは
血流などで確認できるそうなんだけれど
確認できてもなにかの不具合で
「意識があるはずなんですけど戻りませんねえ」
なんて言われたらつらい
「聞こえてるよ!戻りませんねえじゃねえよ!」
とツッコむことすらできないわけでしょう
実に怖いことだよ
思うよね?
普通思うよね?

万が一のためにスタッフには
「俺が意識不明の状態になったら
ラジオなりYou Tubeなりをずっと
流しておいて下さい」
とお願いしてある
ずっと寝たままになって
お世話のお礼すら言えない
なのにずっと生きている状態になったとき
「もっと生きていたい」と思えるものだろうか
医療の発達に希望を持って未来を待てるだろうか

沈没船の船底に閉じ込められて
助けを待つのが俺にとって
想像しうる最も悲しくて怖いシチュエーションランキング
堂々1位だったのだけれどその上をいくよ

そんな状況になったら当然
絶望しても自分で命を捨てることはできない
いっそ殺してくれと願ってしまうかも知れない
その願いを伝えるすべもない
そういうときひとは希望をなくしたからといって
「死のう」「死にたい」と願って死ねるものだろうか

などと考えてしまいテレビの内容がいつも入ってこない

生きたいひとが生きられない
そんな事態がおきて欲しくないのと同じく
死にたいのに死ねない事態が起きることもこわいことだ

他のひとの満足や理想のために
希望がない 生きていたいたくない
死にたいと願うひとが
苦しみながら生き続けなければいけない
その理由はなんだろう

そこで「それでも生きなさい」と言えるのは
そのひとに希望を与え続けられるひとだけだ

なんて漫画「火の鳥」の登場人物のようなことを
考えてしまうからもはや
世界仰天ニュースはほったらかし

にしても
「ひとには死ぬ自由はありません
だから生きなさい」

というのはなんだかへんてこで乱暴な言い分だ

「死ぬ自由はあるけれど希望があるから生きる」

というほうが俺はしっくりくるんだけれど
この感覚はおかしいんだろうか

俺は希望を信じていて
だから希望に繋がる何かをしたい

そう願って俺は 今日も
音楽を作りうたっている
自分がそして あなたが
生きたいと思う力になれればうれしい

 

 

 

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