【山作言】2018年11月23日分


この顔に
この身体に生まれてこなかったら
いまここにいないんだろうな
といつも思う
タラレバの話ばっかりではなく
良くも悪くもの話

もっと顔がよければ
脚が長ければ
クレオパトラの鼻の高さ
とまではいかなくても
人生が生きやすかったりしただろう

「外見×努力」がいま
みたいなところは
確かにある

しかしたとえば
おっぱいが大きければ
人気は出るだろうけれど
垂れる心配もある
あわなくて済む被害を
被ったかもしれない
顔がよければ
心を見ないで寄ってくるひとに
傷つけられるかも知れない

外見でもう少し
東京で必要とされていれば
静岡へは来なかったかも知れない

整形手術をしない限り
見られない結果なので
酒の席の与太話の範疇を出ない
どうでもよい話題の類なんだけど
「いまこの現実は必然」とは
ちょっと言いにくいいろんな影響が
外見によって身体によって
もたらされる

最近 作曲に使うソフトを
CubaseからStudio Oneに変えた
いままで手足のように扱ってきた
いろいろがまったく違う
今までとは別な手足で
今までとは違う見た目のもので
作業をすると発想が試される

たどり着きやすかった効果へ
いつもの手癖ではたどりつけない
確固たる意思で
出来上がりを想像して
検索などしないと
ふるい落とされてしまうアイデア

もしかしたらそれは
前のソフトの特性に引っ張られて
選択させられていた作業だったのでは?

すべてがそうでは絶対ないのだけど
そういう部分がなかったとは
到底言いにくい

それでもソフトが変わってもなお
同じ感じに仕上る部分がある

そうそうこれこれ
これがやりたかったんだよ
とむしろ思いに近づく場面すらある

ガワが変わっても
目指してしまう場所

それこそが俺の
ホンシツなのではないか

などと考えつつする作業中に
ググる量がずいぶん減ってきた

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