トラヤマンションの頃 2 どうやって入るの?謎のベランダ

前回はトラやマンションについてブログを書きました。
その記事はこちら

夜中騒いでも苦情がこなかったトラヤマンション!
もちろん山作戰の部屋の上下にも人は住んでいて、真夏は窓を開けっ放しで飲み会をしていたので、外には声が丸聞こえでした笑
山作戰の幼い頃は自分の父親がほぼ毎日のように仲間をつれて自宅でのみかた(飲み会)をしていたそうで、その影響なのかトラヤマンションにはたくさんの人を呼んで飲み会を度々してました。

終電を逃して泊まっていった人もいたりと週末になると夜中までとても賑やかなトラヤマンションでした。
玄関にいっぱい靴が入りきれないくらいぐちゃぐちゃになってた景色が今でも懐しいです

そして東京時代の曲の半分くらいはこのトラヤマンションで作った曲だと思います。
1stアルバム「山作戰」に収録されている「眠れない夜が明けても」という曲のイントロに出てるくカチカチという音は、その部屋の台所の蛍光灯が点くときのまたたきの音!
なので、何度も何度も紐を引っ張って出る音を収録したそうです。

2ndアルバム「山作業」のアルバムはドラムセットの音を使わないという謎の縛り(山作戰ルール)で作ったアルバムにだったそうで、トラヤマンションの壁を叩いたた音も入ってます。

奥にある鍋が西郷どんです。

手前は大太鼓?奥にある鍋が西郷どんです。

その頃、戸越銀座のリサイクルショップで買った「西郷どん」という呼び名を付けた大きな大きな寸胴鍋の音も入ってます。
こんな風に結構な音を立てて録音作業をしたり、夜中飲み会で騒いでも、全く苦情もなく平和に過ごせたのはきっとトラヤマンションだったから。

ところで、トラヤマンションの住んでいた部屋に一つ謎の部分があったんです。

それは「ベランダ」です。
たぶん山作戰が住んでいた部屋だけがおかしな作りだった気もします。
家の中、玄関から見ると玄関を開けて右手に階段があり左手の横に錆びた手すり。
写真だと右ですね。
この手すりの向こうに一段高くなってベランダ。

高さは、私(身長155センチ)の胸くらいある結構な高さがなのに、ベランダに上がる階段がないんです。
ベランダにいくには、勢いをつけて手すりにつかまって自力でよじ登るしか方法がなくて、背の低い私はベランダに上がるのには一苦労でした。
普通はベランダにいく扉などがあると思うのですが、見当たらなくて、ベランダと通じてるのは古すぎて開かない小さな小さな(もちろん人は通れないくらい)窓くらい。
なので、洗濯ものを干す時には洗濯物を担いで、錆びてる手すりを掴んで、よっこらしょっと勢いをつけないとベランダに上がらなければいけませんでした。
そうそう、この「カンガルーランドリーエプロン」という便利グッズ!いただいたこれに洗濯物いれてベランダにいってました。

洗濯物を干すのにはまだマシだったけど、布団を干す時は一苦労!手すりを越える時に、錆びてる手すりに少しだけ布団があたってしまって布団のカバーが破れていくんですよ。
ベランダの高さと手すりの錆で日々闘いがありました笑
ベランダに上がるのも大変でしたが、ベランダから降りる時は飛び降りるときも大変でした。
勢いよく飛び降りると膝がキーンってなって痛かったけど、膝をかばって下手に降りると錆びてる手すりに洋服が引っかかって切れたりするから面倒くさがり屋の私は、一瞬の痛みを我慢して勢いよく飛び降りてました。
今頃その後遺症なのかなんなのか低気圧になると膝が痛みます笑

マンションの隣はもちろん高級なお家!!そのお庭を眺めながら洗濯ものを干すのが日課でした。
お庭には四季折々のお花が咲いていて、金木犀の時期になるとニオイが嫌いな山作戰は嫌がってたなぁ笑
時にはそのお庭に洗濯物が落ちてしまったときもあったり…
大変なベランダでしたが住んでいた時はそれが普通に思ってたのか、べランダに階段がついてないことも忘れてしまっていた気がします笑
今思うと、トラヤマンションで過ごした日々はすごく愛おしく感じます。
またトラヤマンションで過ごしてみたいなぁ…

あー東京時代の音楽活動の思い出話をしようと思ってましたが
今回もトラヤマンションの話しで終わってしまいました。
また、つづきます…

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