ヤマサクマイニチ61 2020年2月26日(水)脳にケーブルを挿してイメージを出力する 2

一昨日 ある本に書かれていた言葉
「(前略)クリエイターはそもそも
脳のなかのイメージをうまく再現できないことがほとんどだろうということ

また 多くの場合は表現したい脳の中のイメージがあやふやで
クリエイター自体も理解できていない

もしくはそもそも脳内には存在しないことも
現実には発生しているだろうということです」

について書いた
ヤマサクマイニチ59 2020年2月24日(月)脳にケーブルを挿してイメージを出力する 1
結果 一日置いたら何を書きたかったのかわからなくなった
わからないなりに終わらせたいので思い出しながら書くけど
多分前に書きたかったものとは違うと思う

これもこのあと書く内容に関係あると言える

例えば俺のクリエイターとしての役割りを考えると
「俺の頭に浮かんだ曲と言葉を音にして録音なり演奏なりし
それを聴いてくれる誰かに聴いてもらい 何かしらを思ってもらう」
という仕事をしていることになる

音楽家は曲を作る仕事ということは決してない
作った曲で何かを思ってもらう仕事なのだ
できた曲を神棚に上げて
パンパン と柏手を打って
「いい曲ができました ありがとうございました」
とお参りして終わりだと困るのだ

ひとに曲を聞かせて心が動く場合を考えると
いくつかの脳みそとそれをつなぐメディア
(伝え方 ライブだったりCDだったりDVDだったり配信だったり)の物語とも言える

俺の頭に浮かんだ音がみなさんに届く流れとしては

俺は楽器が弾けないので鼻歌を録音してパソコンに取り込む
ここで鼻歌にできない しそこなう 話しかけられるなど
メロディーを取りこぼすことがある

メロディーを録音できたとしても
最初に浮かんだものとは別のものになってることもある

メロディーを無事録音できたとして
次にそれに合わせて楽器を打ち込む
この作業中に頭の中にあったものが
出ている音につられて変わっていくことも当然普通にある

例えばひとに頼んで演奏をしてもらうと
そのひとがよかれと弾いてくれて
演奏的にもいいものが録れても
最初に自分が意図してたものとは違っていることが多い
むしろそうやって
意図に反してくれるだろうと期待することすらある

歌詞だってエラーを呼ぶ
むしろうたにつけられた詞は
限られたメロディーにのることが多いので
言葉足らずになったりそれによって誤解を生じたりもする

しかしこれこそが歌詞のすばらしいところで
克明に描きすぎないが故に聴き手の思い出にフィットしたり
記憶の扉を開けたりできたりするのはその
余白の多さだったりする

うたが出来上がって
どの楽器がどんなことを演奏するか決まって
それを録音したものが完成する

それをCD(メディア)にして発売
またはネットで配信をしてお届けする
このときレコードなのか CDなのか ダウンロードなのか
ラジオで聞いたのか テレビで聞いたのか
You Tubeで聴くのか スマホか PCか
などなど その媒体の違いですべて
意味合いが微妙に変わっていく

ここまでが録音物としての音楽

完成した音源をそれぞれのパートのひとが聞く
それを踏まえてバンドで演奏を固める
ここでも演奏は更に変化するし
変化を喜んだり変化させてくれるひとをあえて呼んだりする

ライブやコンサートで披露する
CDを聞いたひと 演奏を聞いたひとの反応を見て
それをフィードバックしてまた演奏が変わったりする

こうやって最初に頭に浮かんだイメージは
頭にケーブルを挿してエロいイメージを取り出すのが無理なように
やっぱりどこかでコピーミスをしたりエラーを起こしたりして
変化してしまっている

作った曲が誰かの心を打ったり癒やしたりしたとき
褒められるわけだけれど
それって俺が褒められていいのかな
と疑問に思うことがないわけではない
けれど喜んでくれていることに水をさすのも
野暮なのでありがたがって見ている
その偶然の変化が好ましすぎた場合それをひとは
奇跡と呼んだり神と呼んだりするんだろう


そしてそうやって俺の脳から出て
エラーを起こしつつ広がるうたや音たちを
さらに高みへ登らせてくれる仲間との稽古が始まった
こんな曲だったのか とすでに驚いたりしている

神は味方してくれるだろうか
あなたに訴求するための変化がはじまっているのは確か
おたのしみに

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