昨日はすたっふの外回りの仕事のついでにこの動画を撮った
東海道本線の上下線が興津川を渡る地点だが
静岡側から蒲原への帰り道
並行して走るバイパスから見える
旧い橋のレンガが気になっていた
ここへ向かう途中も到着してからも
この橋がいつ作られたものなのか
ネットで検索してみていたのだけれど
情報にたどり着けなかった
到着して川辺の道へ降りてみると
鮎釣りの方のクルマがちらほら
目的の橋へはすぐたどり着いた
コンクリートにレンガが貼ってあるような
橋脚の上に横に渡っている鉄の部分に
「興津川橋りょう」と書いてあり
年月も書いてある!
やった!と思って駆け寄ったのだけれど
塗装を塗り直した時期だけが書かれていて
作られた時期とは関係なかった
しかたがないので動画では
橋の歴史には触れず
映画「ビー・バップ・ハイスクール」の
完結編で喧嘩の場所として登場することを
話しているのだけれど
それを見てくれた鉄道ファンのお友達が
「すごい!開業時には単線で、後に複線化された決定的な証拠が映ってる!!」
とコメントを沿えてシェアしてくれていた
なんですと!
元は単線だったとなると…
ウィキペディアで東海道本線を検索
単線から複線に変わったのは…
「1898年(明治31年)7月15日
蒲原駅 – 興津駅間が複線化」
来た!!そうかこの橋梁はこの情報を元に考えると
122年前にはすでにあったことになる!
蒲原駅・金谷駅の開業が
1890年(明治23年)5月16日と書かれてるし
その年の9月7日に
蒲原駅 – 興津駅間に
興津川駅が開業したとも書かれていて
「豪雨による興津川橋梁破損のため」とある!
興津川橋梁をなおすための駅なのか
詳しくはわからないものの
このとき修理した興津川橋梁が
8年後の複線化までに壊れた
という記事は見当たらないし
このことから考えるとこの橋梁は
1890年の豪雨で全壊に近い被害を受けていれば
修理された1890年9月から11月の間
(11月に興津川駅が廃止されたとの記載から)
半壊だったり
壊れたけど使える部分がある
というような被害だったら
俺が見た橋脚は開業の
1890年(明治23年)5月から
ずっとある可能性だって
高くなるんじゃないの?
そうやって勝手に喜んではいるものの
俺にはこの動画のどのあたりが
単線を複線化した形跡なのか
まったくわからない程度には
鉄道の知識がなさすぎる
もしわかる方いらしたら教えてくんろ
それではまた 明日の未明頃に