【山作言】2019年12月12日  祖母の糸 そうめんを食うて育った虫だけんそうめんたい


我が父 ひろしは早くに父を亡くした
祖父は亡くなる前から眼が見えなかったらしい
どの時点でめしいてしまったかはわからないが父の家族は戦時中から台湾にいて 終戦の年の11月に父が生まれ そこから引き上げて来る時点ではもう眼が見えなかったようだ
祖父は按摩をしていたと聞いたこともあるが 失明してから修行をして始めたのだから家族が裕福に暮らせるほど稼ぎがよかったとも考えにくい
そしてその祖父も早くに亡くなってしまった

その後の髙山家は強烈に貧乏だったらしい
亡くなった祖父の縁者の家に間借りして暮らし 鹿児島女の祖母が独りで父を含む三人兄弟を女手一つで しかも祖父の里である熊本の菊池というアウェイで育て暮らしたのだから想像に難くない
父は高校で1 2を争うほど成績がよかったのに大学へ行くことを諦めて警察官になったと親戚に聞いたこともあるし どんぐりをたくさん拾って保存しておき そこにわいてきた虫を釣具屋に釣り餌として売ってお小遣いを稼いだという話や 山にいるうさぎを捕まえて炊き込みご飯として食べる地域の行事が楽しみで 脂で光るお米が忘れられないと語ったことから考えても 本当に大変な状況を生きたのだろうと思う

俺が生まれる頃 祖母とうちの家族は一緒に住んでいた 父は母と結婚したあと熊本県の西側の島 天草の栖本町という場所の駐在所に赴任する 一軒家に住むことになったので父は菊池で温泉のそうじなどをして独り暮らしをしていた祖母を呼び寄せた その一年後俺が生まれる
そこから熊本市内の「警察アパート」に引っ越すまで5年間一緒に住んだ計算になるのだが その5年間が俺の根本の部分を作ったなと実感することは多い

俺の母はお嬢様育ちで 面白いほどに虫が苦手 ミツバチを見てもクモを見てもパニックを起こし殺虫剤をかけたがる
普段はある程度論理的だと感じるのだがゴキブリを見た途端大声で叫び出すので 虫がまったく平気な父があるとき「虫よりもお前に驚く!」と怒ったらしい
数日後 父と母が向かい合って食事をとっていると 母が静かに涙を流しはじめた どうした?と聞いても黙って首を振るだけ 父が母の目線の先 自分の背後をゆっくり振り返ると大きなゴキブリが壁をゆっくり歩いていたそうである

そんな俺の母がいまでも「天草での祖母との暮らしの中で一番嫌だった」と笑うのが 俺と祖母が生き物で遊ぶことだったようだ 祖母は駐在所の横にある庭で畑仕事をしながら俺とよく遊んでくれた 芋虫やナメクジを使って競争をしたり カエルをとにかくたくさん捕まえたりしては 母に叫び声をあげさせていた 母の影響を色濃く強く受けている俺がゴキブリを手でつかんで外へ出せるのはおそらく祖母の影響だろう

天草の生活が終わり俺たちが「警察アパート」に引っ越すのと同時に 祖母との生活も終わってしまった 祖母は菊池にあった家に戻ろうとしたが住まない間だけと家を貸したひとが出ていってくれず 結局近くの別なところを借りて住んだそうなのだが それはまた 別のはなし 祖母と俺は一時間以上離れた距離に暮らすようになった

俺が小学校に上がったある夏の日 父と俺は菊池にお墓参りに行った 母は弟を身ごもって家にいたんだと思う
その当時の菊池電車の終点 隈府駅(いまはもう途中から廃線になって隈府には駅はない)からほど近い場所にある四軒くらい並んだ平屋の旧い家はいま考えると市営住宅みたいなものだったのかも知れない 並んだ家々の先には小さなお堂があって大きな木が生えていた 涼しい風が吹き蝉の声がしていた
祖母の家に入るとものすごく熱かったのを覚えている 見ると狭い台所のガス台には大きな鍋がかかっていた
玄関の横すぐのところに室内アンテナの載った赤い小さな白黒のテレビ 三畳くらいの部屋が2つ 台所の反対側の押入れのある部屋に俺と父はあがって座る
祖母は麦茶と同じ入れ物を冷蔵庫から出して小さなちゃぶ台の上に置いた 小学生の俺は祖母が持ってきた透明のガラスの器を見て「あれは麦茶ではなくてそうめんのつゆだ」とわかった自分が誇らしかった
そうめんの鍋を見に行く 父が「気をつけろ」と言うのに返事をして覗き込むと鍋の中をぐるぐると泳ぐそうめんと泡 うれしかった 熱いので離れようとすると そうめんと泡の他に 小さな白い塊が一緒にぐるぐると舞っているのが見えた お米? 違うようだ

大人のすることだからきっと大丈夫だろうと一気に興味を失ってちゃぶ台の父の横の席に戻る
台所で祖母がそうめんをザルに上げて洗い 透明なガラスでできた大きな器の中の氷とそうめんを入れて持って来る

お箸を並べていただきますをした時点で俺の目は釘付けになった
「白い芋虫だ」

そうめんと一緒に氷水に浮かんでいる 何がというわけでもなく信じられない気持ちになり 祖母がお漬物を取りに台所の方へ離れたすきを見て父に「虫がはいっとるよ」と言った 父は黙ってそうめんを食べ始めた このひとは気づいてないのだろうか 俺はそうめんの器を見つめた
「よかけん食え」
父が言った
やっぱり気づいてないんだ 大人なのに
俺はますます信じられない気持ちになって
「虫は食べられないよね」と言う 父の顔は少し笑ってるように見えた
「この虫はそうめんを食うて育った虫だけんそうめんたい」
いまの俺なら
「なんだそうめんか なら安心だ って安心できるかーい!」とノリツッコミできるかも知れない
しかし幼い俺には当然無理だった 父は固まった俺に小さな声で
「あとでなんか買うてやるけん 静かにしとれ」と言った

結局俺はまったく口を付けず 父がそうめんをほとんどたいらげた
祖母は心配したが 父は虫のことを祖母には言わずに朝ごはんが遅かったという趣旨の話をしたと思う
食べ終わった器に切れたそうめんの残りと無数の虫が浮かんでいるのを祖母は気づかないまま台所にさげた

翌年の正月 家族みんなで祖母にお正月の挨拶を兼ねてあいに行った 数年前500円硬貨が出た頃に俺がすごく欲しがったのを覚えていてくれてお年玉袋には500円玉が2枚入っていた
その日は菊池神社という神社の近くの鰻屋でご飯を食べることになり そうめんの一件があたまをよぎって 虫が苦手な母が騒ぎ出したらどうしようと思っていた俺は安心した いま考えると正月に家族でそうめんを食べるはずもないのだが
鰻屋で祖母は「昨日出かけてたくさん歩いたのに全然疲れなかったので前より元気かも知れない 食欲もあるので長生きすると思う」と楽しそうに話していた
いつもなら俺が別れを惜しんでグズって祖母は喜んでそのまま警察アパートに泊まりに来るという流れになるはずだったが 弟が生まれて俺もちゃんとしなければと思ったのだろうか すんなり引き下がって家族だけで帰った
祖母が倒れたのはその翌日だった くも膜下出血だった

1月15日 学校の運動場で行われる「どんどや」の日 運動場にうず高く円錐状に組まれたいくつもの大きな竹の山にしめ縄やお飾りがくべられて火が付けられ燃え上がっていく
火が収まり始めたらそれぞれの生徒が竹の先につけた餅をその火にかざして焼くことになっていた 遠く離れているのに頬が熱い 火を夢中で見ている最中 学年主任の先生に声をかけられた
「髙山くん おばあちゃんのあぶなかけん病院にいきなっせ」

東京で独り暮らしをはじめた最初の夏 再会は突然に訪れた
米を炊こうと米袋に手を突っ込むと縮れたクモの糸のような柔らかい塊が手に触った
なんだろうと袋を覗き込むとそこには
白い芋虫

俺は白い芋虫たちを一匹一匹小さなタッパーに移してフタに穴を空けると米粒をいくつか入れて流しの下に置いた
炊いた米はおかしな風味がしてまずかった

俺はそのあとしばらく忙しく 家には寝るために帰るだけ
久しぶりの休日 自炊をしようと米袋を開け そこにまた白い芋虫がいた
タッパーのことを思い出す

慌てて流しの下を見る 半透明のタッパーを外から見てぎょっとした
中には黒い細長い甲虫が何匹もいる
そうか
お前なら見たことがある 図鑑で見た コクゾウムシ…

俺はタッパーを持って窓際へ行く 小さな窓を開けてその虫たちを外に置いてあった植木鉢の土の上に撒いてしばらく眺める
一匹が飛び立った
「そうか お前たちは米を食うて育ったけん 米たいね」
ひさしぶりに祖母のことを思い出し そうめんをたいらげた父のことも考えた
「あれは貧しい頃を共有した親子の 愛だったのかも知れないな」
と 米袋からありがたくないコクゾウムシの親子をつまみ出しながら俺は思っていた

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