トラヤマンションの頃 8「USTREAMに関わった人間で一番特をしたのは俺」

今年の10月8日(金)で静岡に越してきて10年が経ちます。
それを記念して10月9日(土)、山作戰は「十年愛」という配信をやります。

その配信前までには、このブログ「トラヤマンションの頃」も終わる予定ですので
それまでぜひお付き合いよろしくどうぞー。


好評のYou Tube Live「十年愛 前祝」は再生回数538回を突破!!
東京時代に作った曲を演奏しているので見てみて下さい。
10月8日(金)までのアーカイブ公開予定です。
これまでのブログ「トラヤマンションの頃」はこちら。
トラヤマンション1「山作戰の最初を作った上大崎のこと」
トラヤマンション2「どうやって入るの?謎のベランダ」
トラヤマンション3「恐怖!ビオランテの移動」
トラヤマンション4「山作戰の配信の名前はなぜ?なに?なまはげ?」
トラヤマンション5「絶望の辻義理」
トラヤマンション6「10年ぶりの熊本そして再会」
トラヤマンションの頃 7「IT業界の巨人あらわる!そして暗闇配信の理由…」

東京時代の山作戰髙山は願わくばずーっと引き籠もって録音をしていたい人でした。
(今も気を抜くと籠りがちですが、だいぶ出かけるようになりました)
その当時の髙山にとってお家からライブを届けらえるという
「USTREM」の配信は画期的だったと思います。

しかし皮肉なことに、籠りがちだった髙山をUSTREMは家にいさせませんでした。
USTREAMで繋がったたくさんの方と会うために、髙山はイベントに参加したりと外で出かけるようになったのです。
例えば、少し前まで町田にあったライブハウスWESTVOX。
そのオーナーの西 健志さんと 古屋かおりさんという歌手の方が一緒にUstreamをなさってました。
その2人がよく長時間の配信をされていて、
あるとき「30時間Ustream」というUSTREMイベントをなさるとき、山作戰を誘って下さいました。
しかも
「トラヤマンションの最寄りの駅の目黒駅から
町田WESTVOXまで路上ライブで稼いだお金で移動する 交通手段はなんとタクシーと歩きのみ!」
というハードな企画で会場町田WESTVOXまで向かったのです。
最初は西さんが言ってた企画はもっと緩いものだった気がしますが、
髙山が勝手に「このほうが面白い」と厳しいルールにした気もします笑

出発の前日の夜だったでしょうか。こんな旗を準備しました。
七人の侍の旗のイメージで書いたと言っていましたが、誰にも気づいてもらえなかったようです。

当日、この旗を掲げて最初の路上ライブ場所、目黒駅の前まで歩きます。
トラヤマンションが廃墟なだけで周りは閑静な高級住宅街。正直ひと目が気になりましたが、なんとか駅前に到着。

その当時は作務衣で活動していた山作戰。
作務衣にこの旗を立てて路上ライブ。
なんとも怪しい景色だったことでしょう!!
初期からの山作員(山作戰のファン)さとるさんも駆けつけて山作戰の路上ライブの様子を配信してくれました。
私は相変わらず何もわからず、やる気もなかったのでただ着いていっただけ笑。
助っ人さとるさんがずーっとiPhoneを片手に配信をしてくれたので、周りの人はさとるさんをマネージャーと思ってたみたいです笑


途中で髙山が「食事も路上ライブで稼いだお金からとする!」と宣言したため
昼食は3人で、はなまるうどんの公園通り店でかけうどんを食べた記憶があります。
今やったら面白い動画になったかもって思いますが、当時はGoProみたいな手軽な機材もないし、
今のように早い電波も飛んでいなかったので記録は残ってないみたいです。
体力的にも当時38歳の山作戰だったからできたのかな??
ちょっと惜しいです。

それでも苦戦しつつも微妙な金額で投げ銭を獲得しながら進み、
路上ライブの会場は目黒から渋谷、新宿西口へと進みました。


その頃、前にも書いた定期的な路上ライブ「辻義理」は場所を新宿西口に移していました。
なので毎週演奏している場所…
と書くとでお手の物っぽくかんじますが、毎回やっててもはじめましての場所なのです。
と言うのも東京砂漠(髙山は路上ライブの度にそう思っていたそうです)
たくさんの方が通る場所ですが、いつもほとんど違う人。
誰にも引っかからないこともあります。
その日もそうでした。

その日は前に書いた番組、Usttodayのみなさんが駆けつけてくれて人垣を作ってくれました。
路上ライブは人垣ができていると観客が集まってくれやすくなるので
本当にありがたかったです。

日も暮れてしばらくしてUsttodayチームに手を振りながら新宿からタクシーで移動。
「メーターが〇,〇〇〇円を超える前に止めて下さい!」
と言ったところ
運転手さんは苦笑いしながら了承してくれました。
結果、路上ライブで稼いだお金では確か新百合ヶ丘までしか行けず。
タクシーを降りようとしてるところに会場の西さんから「電車を使ってもいいので町田へ!」との伝令があったんだと思います。
そのままWESTVOXへ向かいました。


あの当時の私は後に記録や思い出を残しても意味がないと思っていたので
金額などの詳細もあやふや。ごめんなさいね。
今は違いますよ。


私の記憶だとおそらく町田WESTVOXに到着したのは23時くらいだったと思います。
無茶な企画でしたが、イベントが終わる頃には、山作戰本人も達成感があったようで、
あの籠りがちだった髙山とは全然違う人になっていました。(大げさ)
私はネットの繋がりで出会った方たちが髙山を変えてくれていると思いました。


実はこの企画がご縁でこの少しあと、山作戰は初めてラジオのパーソナリティを務めるのです!!
FMさがみというFM局の「MUSICVOX」という番組。
これも結果USTREMのおかげで声をかけてもらった訳ですから、よく髙山が言う
「USTREAMに関わった人間で結果俺が一番特をしたと思う」というのは
嘘じゃないのかも知れません

静岡に拠点を移してからもラジオのレギュラーは続き毎月1回町田に通って収録していました。
いまではいくらでも喋れるイメージの髙山ですが、その頃は大変そうだったし、
途中から私もパーソナリティになったりしていつも必死だったのを覚えています。
そうやって、色んな出会いを繋いで山作戰というミュージシャンが育っていったのです。

どこで終わろうか迷いつつ、書きたいことはたくさん。
路上ライブ辻義理のその後についてなど含めて、もう少し続きます。

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