トラヤマンション6「10年ぶりの熊本そして再会」

連続して書いている10年前の山作戰髙山の活動や今につながるお話のブログ。
前回までのトラヤマンション(当時住んでいた上大崎のボロいマンション)での出来事ブログはこちらです。


トラヤマンション1「山作戰の最初を作った上大崎のこと」
トラヤマンション2「どうやって入るの?謎のベランダ」

トラヤマンション3「恐怖!ビオランテの移動」
トラヤマンション4「山作戰の配信の名前はなぜ?なに?なまはげ?」
トラヤマンション5「絶望の辻義理」

前回のブログ「絶望の辻義理」でも書きましたが、
当時の山作戰は木曜日の22時からUSTREMの配信「ぼくなまはげ」と
時々やる路上ライブ「辻義理」の2つを中心に活動していました。
なんの保証も約束もないのに、よくあんな不安な活動を続けていたなあと思います。
その頃は特にTwitterとUSTREMの配信が盛んになってゆく時期。
色んな人が配信を始めてにぎやかになっていきました。

「ぼくなまはげ」を始めて4ヶ月くらいが経った頃でしょうか。
髙山がTwitterを見ながら叫びました。
奥田圭さんだ!」
奥田圭さんは髙山が高校生の頃に熊本のRKKラジオでお世話になったラジオパーソナリティさん。
高校受験のときに聞いていたラジオ「うまか情報局」のパーソナリティーさんで、
髙山が日曜日に準レギュラーのように出演していたラジオのパーソナリティの一人でした。

そこからその圭さんのラジオ番組を配信する実験のUSTREMを見るようになったのです。
UstreamもいまのYouTubeLIVEのように画面の横にコメントをする欄があります。
そこでのやりとりでその番組のリスナーさんたちとも繋がり、山作戰を知ってもらうきっかけになりました。

SNSで何か起きると信じてなかった私は、そうやってリアルに繋がってく姿をみて
「SNSって思っているほど悪くないんだ、インターネットで広がることもあるんだな」
と思い始めたましたが、まだ半信半疑でした。

私はちょうどその時期、髙山がいつもしゃべる熊本がどういう場所か見てみたくなっていました。
そして勝手に熊本へ行く予定を立てまして、
髙山も「だったら奥田圭さんに会いたい」と言い出したのでした。

奥田圭さんの事務所に伺った日は暑い日。しかも髙山はすごく緊張していたんだと思います。
事務所へ向かう途中で水をかぶったように汗だくになり、Tシャツを替えました。
それでも事務所についた頃にはすごい汗まみれだったことを覚えてます笑

この写真でも汗だくぶりがわかります。
そこで20年ぶりくらいに奥田圭さんにお会いした髙山。
圭さんが高校時代の山作戰のことを覚えてくれていて私もとても嬉しかったです。
高校時代の髙山と奥田圭さん、そして髙山が最初に出あったプロミュージシャン進藤さん
(コークオンサンデーという番組を奥田圭さんとやってらっしゃった)
との出会いについて4年前の髙山がブログに書いてました。
4年前に進藤さんが静岡へ来て一緒にライブをしたとき書いたブログです。
私小説?白紙答案と留年と髙山少年と進藤さん  市(いち)
私小説?白紙答案と留年と髙山少年と進藤さん  荷(に)
私小説?白紙答案と留年と髙山少年と進藤さん  賛(さん)

ラジオの本番中は綺麗な標準語の圭さんがプライベートでは威勢のいい熊本弁に変わるのも素敵で驚きでした
現地で聞く熊本弁はイントネーションもなんだか独特で聴いていて楽しかった。
私は語尾に「とよ」や「とたい」がつく感じが大好きでした。


その中で髙山と奥田圭さんが「すかっさんもんね」と何度も話しているのが聞こえました。
「そのすかっさんという何度も出てくる人は私が知ってる人なの?」
と質問したら大笑いされまして、
「すかっさん」は人ではなくて「好かっさん」「好きじゃない」ていう意味だと教えてくれました笑

その数日後、奥田圭さんの朝の番組「奥田圭のさんさんラジオ」にゲスト出演したりと、10年ぶりの熊本を満喫しました。


帰り道、再会に感激しつづけていた髙山でしたが、私はそっちのけで初の熊本にウキウキでした。
だって毎日の熊本の食べ物とお酒が美味しすぎて幸せだったんです。

さて、この奥田圭さんとの再会が、その後の山作戰の活動を爆発的に広がりをもたせてもらったのです。
USTREM配信「ぼくなまはげ」の話はどうなった?もう少し続きます。

何度も書いてますが今年の10月で静岡にきて丸10年。
10周年記念ということで9月11日のライブ配信を行いました。
このブログを読んだら東京時代のころに起きたことがわかって面白いかななんて思ってます。
(アーカイブは10月8日(金)まで公開です)

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