ヤマサクマイニチ187 同じ路上で表現する芸事だとしても・・・ 大道芸と路上ライブが混在する街の不幸

静岡は大道芸の街ということになっている
大道芸ワールドカップin静岡が開催されているからなんだけど 路上ライブをやるミュージシャンとしては大道芸とひとくくりにされる場面がたまにある
俺はこの流れに困惑することも多かったので このデメリットも大きいと思っている事案を路上ライブもまた禁止されているいま 書こうと思う

たとえば 静岡市は路上パフォーマンスを許可制にしているけれど この仕組が圧倒的に大道芸寄りだったりする
投げ銭はいいけれど物販は禁止 というのがいい例だ
これは多くのミュージシャンにとっては厳しい
なかには「自分の演奏は大丈夫 投げ銭をもらうまでの流れも盛り上げも工夫してるから」という方もいらっしゃるかも知れないけれど おそらく少数だろう


大道芸というのはご存知の通り ヨーロッパあたりで長い時間を使って多くの芸人産たちが投げ銭を獲得するための努力をしてきた芸術 芸事だ
瞬発的な凄さは群衆を集めるために研究されているし 人だかりを作って投げ銭をしてもらうまでの距離やテンション 工夫 技が多様にある
日本ではドネーションや喜捨というような習慣が遅れているとはいえ 投げ銭をするものなんだなと浸透させた先人の努力の上にあって 投げ銭をもらう必然性や習慣 景色がある程度整っていると思う

ここまで読んで「じゃあ路上ミュージシャンも大道芸人のひとたちのように投げ銭してもらえる工夫をすればいい」とお思いの方もいらっしゃるだろう
それもひとつの生き抜き方 やり方だと思うけれど お金までの距離がある程度遠くないとできない音楽もあると思う

音楽家が路上ライブをする場合 パフォーマンスを観てもらいたい 顔や存在を知ってもらいたい
ライブハウスでは閉じてしまいがちなのでひらけた場所で自分の音を届けたい というような願いがあってやってることが多いのではなかろうか
広告宣伝費を捻出してCMを打ったりする代わりに自分の演奏に対する対価をチャラにすることで路上で無料ライブをするという考え方がが俺はしっくりくる
自分の演奏のギャラが10,000円だったとして その10,000円を広告費として支払って相殺している感じ?

投げ銭で暮らすことを目的にやっているひとはすごく少ないし それをやろうとしたら カバーをやってリクエストに応えるか 大道芸的に瞬発力の高い曲芸のような演奏をする必要がある
自作の曲を広める演奏というようなやんわりした芸事はお金から遠い
その音楽に価値を見出してもらえた場合 CDや楽曲 活動の応援としての物販は主力になる
You Tubeで音楽は無料と思っているひとが多ければなおさらだろう

うまくまとまらないけれど決して「大道芸ずるい」「大道芸ばっかり優遇するな」的なことを書きたい訳ではない

同じ路上でやっている表現活動であっても 大道芸と路上ライブはまったくの別物だと言いたいのだ
「大道芸」とひとくくりにしている時点でお前も同類だと叱られるかも知れないけれど そういうことなのだ

同じところに住んでいて似た形をしていても サメとイルカ マグロくらい別の生き物

大道芸人さんと同じ水槽に入れそうになったとき思い出していただけたらさいわいだ
お友達の大道芸人のみなさん
失礼な文章になってないよね?ね?

つらつら考えていたら更新が遅くなった ヤマサク夏のセンまつりまであと26日
それではまた 明日の未明ごろに

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