ヤマサクマイニチ38 2020年2月1日(土)それでも奪われるのならその一瞬までうたう そしてもう毎回 最後と思ってる

幼い頃母が父と喧嘩してよく「別れる 離婚する」と言っていた
そのたびに家が変な空気になって俺は一応「そういうことを言うな」
みたいに諭していた
母はそれでも「別れる そのあとのことは考えてある」
みたいに言って聞かない
俺はその頃 意見が違ってもそのひとと仲良くできるのがヨーロッパの議会だ
みたいな謎のことを聞かされていたので
(もちろん髙山家はヨーロッパ議会ではないが)
「意見が違うのはそれでいい そんな問題で『離婚』を口に出すのは卑怯だ 戦争で原爆を使うようなものだ」
と言ったそうだ
そう母から聞いた
それを聞いていまのおっさんの俺は
「俺は昔から例えたがる子だったんだなあ おおいに結構」
と思った
うまい例えかどうかは知らんが

にしても
別れる気もなくいまでも仲良く暮らしている髙山家で
『離婚する」と言ったのは甘えだろう
あのとき本当に別れる気だったのだとすれば いま母はそれについて どう思ってるんだろう
別れる 離婚するということは 関わったすべてのひとたちを裏切ることとも言える
それはそれとして
たとえば暴力や虐待が加えられ得る環境で その関わったすべてのしがらみを気にして そこから脱出することが躊躇されることはもちろんあってはいけない
生まれながらの境遇や いま置かれている境遇から 努力と覚悟次第で飛び出せる世の中であることこそが理想なんだからね

そうよね
たかぶった
たかぶりすぎた

さて
静岡へくる前から来てすぐの俺は誰とも関わりたくない コミュ障を気取った 尊大なやつだった
そこからいままでの道のりは

関わる
大切に思う
いなくなって欲しくないひとが増える
温度が上がる

そんな日々だった
むしろ蒲原の連中や静岡のみなさんが 寄ってたかっていじり回してくれて
案の定 好きなひとも増えた しあわせな時間だった

それでも根っこはどこかでいまでも
「全部どうせ俺のところへ届くしあわせじゃない」
と思っているフシがある
何度も手元に来たしあわせが離れて行ったから
期待しなきゃ傷つかない
って誰の歌詞だっけ
そういう 防御の部分もあるんだろう
癖になっていてまだ残っている
ある日宅配便の配達員の方が
「あ 2-9-2ですね 9-2-9に届けるやつでした(笑)」
なんて言ってしあわせ全部引き取って行ってしまう
そういう妄想や夢をふた月に1度くらい見る
そうやって借り物のよろこびなんだと覚悟しようとして つじつまを合わせてる実感がいまでもある

ここ5年くらいそんな
自分の中にずっとあるそのあきらめというか
痛い目にあわないための防御みたいなものこそが自分の弱点なのではと考えるようになっていた

歌詞や曲の「聴くひとを選ぶ感」や言われる「難しさ」
無駄な寸止めっぽさのすべてにはこの
「信じ切れてない弱さ」
が関係するのではないか?

俺が静岡で生きて死ぬという前提ですすむとする
失うことの怖さを恐れずにかけがえないひとを増やす(ここまで増えてきた)

そのひとたちとの関わりの中で 強く みんなをたかぶらせるような
嘘のない歌詞が素直に生まれていく
そうやって生まれた歌詞やうたが みんなに愛されたらたまんない
そういう 不確かな根拠から始まった 馬鹿みたいなニヤニヤが散りばめられた作風だったらいいなという曲

どう?

感想はさておき

それでもまた あの頃の俺が出てきて言う
鏡の中から 通りの街灯の当たらない影から
夜中のトイレに続く廊下の物入れから
暗い出窓の外から

「静岡にいられなくなったら 全部終わらせるんだよな」
「いまはいいかもしれんけど このあとどうずるの?」
「調子にのってるな はしご外されたところが見ものだな」

たくさんたくさんあきらめて 捨てたくないもの捨てながらここまで来たんだ
ひととしてどうかと思われるくらいに 申し訳ない判断をしても音楽をする人生を選んだ

それでも奪われるのならその一瞬までうたう
そして
毎回最後と思って出演してる
一度は死んだ命だ 後悔はないよ

誰だよ 窓を開けたままにしたのは

見ると風に揺れてるカーテンだった

それも 人生

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