ヤマサクマイニチ 17 2020年1月9日(木)俺にとって熊本という場所は振られたけどまだ好きな女性みたいな場所なんだと思う

いま熊本へ向かっている ノグチサトシのCDを聴きながら
スタッフが好きすぎてキュンキュンしてて 俺は助手席で高速道路でキュンキュンされるとこんなにこわいんだと思い知らされつつ 音楽が流れていると文章が書けないことにも気づく
いまノグチサトシは黙りました(CDを書き終わるまでミュートしてもらった 笑)

ノグチは静岡であった中でもずば抜けて才能のあるシンガーでソングライターだけれど シンガーソングライターと呼びたくないひとだが この流れだとずっとノグチのことを書いてしまいそうなのでやめ
いつか別な機会に書くか ゲストに呼んで喋ってもらうかしよう

そう 俺は熊本へ続く伊勢湾岸道を走るクルマの助手席にいるのだ

俺にとって熊本という場所は振られたけどまだ好きな女性みたいな場所なんだと思う
19歳まで暮らした熊本
大人になる前に出てしまったので家から自転車で行ける範囲くらいしか知らないし 飲み屋もわからない 里帰りもろくにしなかったので同級生との関係もほとんどない
つながっているのは一部の面倒見のいい仲間とSNSでつながってる友達だけだ
それでも熊本が自分の根っこを作ってくれたことには変わりないし 大切な場所
けれど関わり方は難しいし いまおつきあいしている静岡に対して不義理はしたくない 的な

東京で21年暮らした後半から現在まで 面白い感覚に陥ることがある
ふと頭にうかぶ旧くなつかしい景色やひと どこのだれだっけと考える 熊本でのそれっぽい記憶につらつら思い巡らせてみて該当がない
もしやと思って思い返すと上京してすぐの頃の東京の記憶だった ということがしばしばあるのだ
そのくらい いまから見ればはるか彼方の記憶だということだろうが 当時住んだ大田区にはまだ田んぼがあったりと混同させようとする要素もあった

最近はそれに静岡の旧い記憶と加齢が参加してきてもうわからない しかしいつ頃のどこでの記憶なのか思い出せなくなるのはなんだか怖いので必死で思い出しては
まだ大丈夫
と納得したりして

いま四日市あたりだろうか あたりは漆黒 新名神を走って関西を通り抜ける

雨雲の中につっこんだようだ 降り出した
あまりにスタッフがつまらなそうなので安全のためにノグチサトシに戻ってきてもらう
上機嫌だ
命のためにもキュンキュンを適度に阻止しつつ 振られた彼女の元へ向かう俺なのだった

電波が戻ってきた 朝焼けも綺麗だった あと9時間くらいか

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